1995年
平成7年 1月17日早朝の
大地震
地震の揺れが
長野まで揺れた
体感した記憶がないのは
あの頃の自分は
体調を崩していたから
ちょうどあの時の
原因不明の体調不良は
ストレスからだったのか?
いろんな病院で
検査を受けても
何がいけないのか原因が見つからない…
でも
そんなメンタルが不安定な
最悪な時に
阪神淡路大震災の映像を
観てしまった。
あの時の
阪神淡路大震災と
それからすぐに
地下鉄サリン事件が
怖かった…
自分の体調が
どうにもならなかったから
余計に
恐怖が襲ってきた記憶しかなかった。
あれから29年
1月1日の
お正月に自宅も揺れた
能登の地震
地震から二週間が過ぎようとしている
ニュースで
能登半島地震の
被災で
学校再開の見通しの立たない
輪島市250人の中学生が
1月17日の今日
被災地から
100キロ離れた
石川県白山市の施設に
集団避難をはじめる
15歳の中学三年生は
もう
来月には受験を控えている大事な時
僕の娘も同い年
被災した
子どもたちが
親元を離れて
集団避難をする
その出発するために荷物を準備している
映像を観ながら
親の心配と
同い年の娘を持つ
親として
ワクワクする…
そんな声もあるけど
子どもたちの心細さに
胸が痛みます。
まともな勉強ができない
被災地に残るよりも
受け入れ準備が整った
場所に移って
残り一か月の受験に備えて
勉強する
親元を離れる子どもも
地震で家もすべて失ってしまった
ご家族が
わが子を送り出すのもツライはず…。
親の手の届かない場所で
体調のこと
元気でいるだろうか?
周りの環境に慣れたのか?
何か困っていないだろうか?
親の心配事は
計り知れないものがあるけど
乗り越えてほしいと思うだけ
29年前の
1月の記憶も
なかなか薄れない
あの時も
今でも
自分が信じた家づくりをしているけど
大きな地震が起きるたびに
日本全国の
家づくりに携わる会社
建築士も
それ以外の建設工事に関わる
建設会社も
道路や橋の建設に関わる
土木工事会社も
建設という
すべての工作物建設に携わる人は
自分たちが築き上げてきた工作物が
想像を超える
大地震と津波
火災
自然災害に
こんなにも
あっけなく人と建物が犠牲になっていることを
目の当たりにしても
人を
災害から
天候から守れる
安全に非難ができる
工作物を建てることが
我々が
果たす使命なんだと
家族が一番ほっとする
安全な建物をつくらなきゃいけない
1月17日に思うことでした。
最後までお読みいただき
ありがとうございました。
それではまた明日。
Profile
1965年に長野県須坂市で生まれ
八田建設株式会社の代表取締役であり一級建築士。
父親が創業した会社の二代目として、すでに20年以上にわたり会社を引き継いでいる。
家族の幸せを願い、家づくりの大切さを伝えるためにブログを通じて活動している。
自身の過去の経験から、子育て世代のご夫婦に本当の幸せを感じられる家づくりを提案している。
八田建設はこれまで150棟の家を提供し、家づくりはスペックと価格よりも、家族が幸せに暮らせることが最も重要だと考え、子どもたちと過ごす幸せな時間から巣立った後の夫婦の時間までを見守る家づくりを提案している